見返りを求めない正義

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ある日、SNSを眺めていたら『仮面ライダービルド』の印象的なセリフが目に入った。

「見返りを期待したら、それは正義とは言わねえぞ」by 桐生戦兎

直感的にかっこいいと思った。こういう生き方に純粋に憧れを抱いているし、ぼく自身も日常でささやかな正義を見返りなしに行うよう心がけているつもりだった。しかし、とあるまとめサイトを見て少し戸惑った。「偽善だ」「現実的じゃない」と否定的な反応が多かったからだ。

その中で特に気になった意見があった。「見返りを求めない善意が当たり前になると、『助けられて当然』という意識の人が増えて社会に悪影響を与えるのでは?」というものだった。この意見になんとなく違和感を感じ、自分の信じた正義が少し揺らいだのを感じた。そこでこの違和感の正体を確かめるために、ぼくはAIにこう尋ねた——

見返りを求めない善意は、社会にとって本当に良いことなのだろうか?

AIは簡潔にこう答えた。

「見返りを求めない善意は素晴らしいことですが、それが当然と思われると相手が依存的になり、社会の自立性や生産性に悪影響が出る可能性があります」

ぼくはこの返答を受けて、漠然とした違和感が明確になったように感じた。確かに、無条件の善意が人を甘やかしてしまうリスクがあることは否定できない。けれど、本当に善意を行う側がそれを心配する必要があるのだろうか?むしろ、相手の成長を阻害するほどの影響があるなら、それは本当に善意と言えるのだろうか?

ぼくはさらにAIに質問を重ねてみた。

「でも、助けられて当然という態度を持った人は、自分自身を高める努力を怠り、結果的に社会の中で自然淘汰されるだけじゃない?」

AIは淡々と返した。

「確かに短期的にはそのような淘汰が起きるかもしれません。ただ、その数が増えれば社会全体の活力や成長が停滞し、最終的には助ける側も影響を受けます」

ぼくはこの意見に深く頷いた。社会は複雑な相互関係で成り立っている。誰かの成長が止まれば、その影響はじわじわと広がってしまうことは容易に想像がつく。

成長を続ける人と現状にとどまる人の格差

このやりとりを通じて、ぼくはさらに考えを深めた。確かに、善意が当たり前になることで依存的な人が増える可能性は否めない。しかし、同時にこれはある意味で社会の自然な淘汰作用を生んでいるのではないかとも感じた。つまり、自分を成長させることを怠った人々は社会の中でとどまり続け、自発的に成長や学びを続ける人々が次第に社会の中で上に上り詰めていくことで社会的格差が生まれ、止まり続けた人は消えていく……という構造だ。

この考え方はやや冷たいように聞こえるかもしれないが、現実にそうした構造が存在することもまた事実だろう。善意が与えられる環境下でも、学び続けられる人々は決して依存せず、自らの成長に向けて行動を起こすのだと思う。それこそが資本主義社会で評価され、社会を支える人材となり、その対価で豊かさ得る。これこそがこの社会で幸せに暮らす方法なのだから。

格差が広まった世界

だが、歴史を見るに格差があまりにも広がると、社会的な分断が起こり、いわゆる革命が起きる。

止まり続けた人々は成長して行った人たちの存在を「自分たちを搾取する者」として捉え始める。そして革命は“今までの秩序”を壊す力として現れる。

そうなるとどうなるか。これまで努力を重ねて社会を支えていた人々——つまり成長を続けていた側の人間——が、むしろ排除の対象となる。そして、これまで現状にとどまっていた人々が大きな声を持ち、社会の中心に躍り出る。

けれど、そのとき問題になるのは、新たに「導く側」になる英雄の存在だ。人々の不満をうまく言語化し、希望を語り、現状を変えられると信じさせた人物。彼または彼女のカリスマ性に群衆は熱狂し、その人物を中心に新たな秩序が築かれていく。

しかし、ここで皮肉なことが起きる。

その「英雄」は、今の秩序を壊せるほどの力があり、かつての“成長を続けていた人々”とほとんど変わらない知性と行動力を持っている。つまり、革命が起きたとしても、社会の頂点に立つのは、結局“力のある人間”であり、構造そのものが大きく変わるわけではない。

そして残された群衆はまた、導かれる側として日々を過ごすことになる。立場こそ変われど、力の分布構造は不思議と元の形に似ていく。

——そう、形を変えて、また格差は生まれいるのだ

そして人々は気づく。自分たちを導いた英雄は、かつて恐れ忌んだ「知のある者」と同じ力を持っていることを。彼が「搾取する人間」と同じであることに

新たな世界の英雄は古い世界の破壊神であり、民衆はその強すぎる力を恐れるだけ

英雄は忌み嫌われ、居場所を失っていく

見返りを求めない正義を貫く

この話を聞いて何か覚えがあると感じた人もいたのではないだろうか?


そう、仮面ライダー鎧武でDJサガラがヒロインに指摘していたことである

こう考えると、見返りを求めない正義というのは、自分自身を高めこの社会で幸せに生きていくための生き方であり同時に、それは“唐突なる迫害”と常に隣り合わせにあるものである。

だが実際は英雄になるレベルのなど現実手に入れるには想像もできないような道のりを歩まなければいけないと思う

ヒーローのような見返りを求めない正義を行なって生きていても自分の人生に良いことしか起きないというのが僕の見解です。

あなたは見返りを求めない正義についてどう考えますか?

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